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月と鯨
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| 「なぁんか時々やるせない気持ちになるなぁ…」 美しくも荒涼とした月の宮殿で、月天王は独りごちた。 「なぜです？」 「だって、私は自分の仕事をしているだけなのに、人間達は調子に乗って…って、お前！ もう帰ってきたのか 」 月光色に輝く白銀の髪をかきあげて振り返った月天王は、その美しい顔をうんざりしたようにしかめて見せた。視線の先には、ほんの数刻前に天空へ放った黒い鯨が、今は黒衣・黒髪の人の姿で立っている。 「さぼったわけではありません。もうお腹一杯になったので、一刻も早くあなたのもとへ戻ろうと飛んで帰って来たのです」 黒衣の鯨は静かに膝を折り、月天王の前にかしずいた。 「もう、腹一杯喰ってきたのか…」 月天王はさらに表情を曇らせる。 「夜空のクジラは働き者だな」 ため息混じりの嫌みも、鯨には通じない。 「貴方に召された私が、貴方のために働くのは当然です。月王様」 広々としたドーム形の執務室には、月天王が座す大きな椅子が一つあるだけで他には何もない。黒衣の鯨が入ってきたはずの入り口さえ見当たらなかった。 「…。殊勝な心がけだ」 「ありがとうございます。では…」 黒衣の鯨は、すらりと立ち上がって今にも唄い出さんとする。 「ちょっっと待て！」 月天王は優雅な仕種で、しかしかなり素早く、それを止めた。 「月王様？」 いぶかし気な黒衣の鯨に、月天王はけだるそうに片肘をつく。 「今宵はもうよい。私は疲れた。お前も休め」 拗ねたようにふいと横を向いてしまう。 「しかし、このままでは次の仕事ができません」 （まだ喰う気かっ！ この大喰い鯨っ！） という言葉を飲み込んで、月天王はちらりと黒衣の鯨を睨む。 「その辺の壺にでも入れておけば良かろう。後でちゃんと処理しておく」 「壺…ですか。…わかりました」 黒衣の鯨もそれ以上は反論せず、改めてひどく疲れた様子の月天王を見遣った。 「だいぶお疲れの様ですね」 「…。別にお前のせいではない。人間どもがあれもこれもと年中無休で霊気を乱すから、うんざりしているだけだ。私は別に、人間どものために働いているのではない。私は私のためにやるべきことをしているだけなのだ。それなのに人間ときたら、最近は名指しでお願いとかして来るんだぞ。短冊なんかに願い事書くなっつーの。私は七夕ではないっ！」 どうやら、人間が親し気に月天王の名で願い事などするのは、勘に触るらしい。神様にあるまじき口の悪さで激している月天王を、黒衣の鯨はしかし（可愛い�｡）などと思ってしまうのだった。どんなに文句を云っていても、大抵本心ではないのだ。人々の想いを無視することなど月天王にはできないことを知っている。 |