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月光通信
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| 『あれは…、寮に入った最初の年かな。自分で今思い出しても情けないんだけど、失恋してね。ひどくダメージを受けた。意地もあって学校には行ってたけど、成績は落ちるし体調まで悪くなるしで、自分ではもうどうしようもなかった。精神的にもかなり参ってたんだろうね。ある日、急に何もかもがどうでも良くなって、衝動的に寮を出てしまったことがあるんだ。とっくに日は暮れていたし、とにかく寒い日で、なかなか電車の来ない駅のホームに立っていたら余計にみじめな気持ちになったよ』 懐かし気に話すハルは、当時の気持ちを思い出したのか、少し言葉を切った。 『ああいう時は良くないことばかり考えてしまうね。一人で黙って電車を待っている間、心の中は恨み言でいっぱいだった。自分を振った女の子や、授業のへたな教授や、何よりこんなことでだめになる自分に腹を立てて。最後には、僕を独り地球に残して月へ行ってしまった両親にまで、八つ当たりしてたな。気が付いたら、心の中でずっと同じ言葉をくり返してたんだ』 「同じ言葉？ 何て？」 ハルは浅く息をして、短く云った。 『……死ンジマエ。』 息を飲むみるくに、ハルは落ち着いた声で続ける。 『具体的に特定の誰かの死を願ったわけじゃないんだ。ただ、何もかも嫌になって壊してしまいたかった。強いて云えば、弱い自分を殺したかったのかもしれない。とにかく、その一言を心の中でくり返してた…』 普段、温厚で理性的なハル。怒っても、人を罵倒するなんてことは絶対にしない。そんな彼が、何かの死を願う言葉をくり返したのは、よほど精神的、肉体的に追い詰められていたに違いない。 『言葉の意味に思い至って愕然として、それで我に返ったんだ。自分が怖くなった。その時初めて、月が僕を照らしていることに気付いたんだ。服のしわや手の影が、いやにくっきりしていて、リアルなんだけどどこか現実離れしているような、不思議な感じがした』 みるくも今、同じような感覚を味わっていた。これは、まだ夢を見ているのだろうか… ハルの声は、続いている。 『不意に、あぁ今日は満月なのかって思って、顔を上げようとしたんだ。そうしたら、ちょうどその時、一瞬辺りが暗くなった。何かすごく大きなものが頭の上を通って、その影に入ったんだ。びっくりして空を見上げたけど、空には満月以外何もなかった。雲もなかった。でも、何かが通ったのは間違いない。風が吹いたわけじゃないんだけど、存在感というか、圧力みたいなものを感じたんだ』 みるくは、同じように空を見上げてみたが、そこには満月が輝くだけで何の気配もなく、ただ、静かだった。 『今のは何だったんだろうって、混乱した頭で考えていたら、声が聴こえてきた』 「声？ クジラの？」 『そう。でも正直、初めは何の音か分からなかった。低く高く微妙に揺れながらどこまでも響いてゆくような不思議な音だった。それが昔テレビで聞いたクジラの声だって気付いた時は、もう聴こえなくなってたんだ。テレビの中のクジラは海中でその声を響かせていたけど、その時聴いたクジラの声は身体の中に直に響いてきた感じがした。本当に胸の辺りがジンジンしたほどだよ』 その時の興奮が蘇ったのか、ハルは一旦言葉を切って、息を整える。 「でも、それが夜空のクジラの声かどうかは、わからないよ？」 逆に少し冷めた気持ちで疑問を口にするみるくに、 『…みるくは、月天王が何者で夜空のクジラがどんな役目を担っているのか知ってる？』 ハルは、静かな声で尋き返した。 「？ うん。え〜と、月天王は全ての想いを受け止めて浄化してくれる神で、夜空のクジラは人が月光に放った想いを月天王に届けてくれるんでしょ？ おばあちゃんにそう教わったよ」 『おばあちゃんの言葉は正しいね。でも、ちょっとシンプルすぎるかな』 学校の先生が生徒を諭すみたいにハルは優しく云う。 『月天王は乱れやすい世界の霊気のバランスを整える神で、人々の様々な想いで乱れたり淀んだりした霊気を浄化すると云われているんだ。世界の気が安定することで起こる現象が人々の願いと重なったりすると、願いを叶えてくれたように見えるだけで、月天王は人の望みや願いごとを叶えてくれる神様ではないんだよ。ええと…、確かステイション・ホテルの観光パンフレットに詳しいことが…。ああ、あった』 ハルは、月光に溶けるようなやわらかいバリトンで、その項目を読み上げた。 |