その時、
「そんなに虐めてやるな。日輪王」
　思わぬ方向から声が聞こえた。
　同時に白っぽいものが目の前を横切って、ちゃぶ台に転がったままだった玻璃玉を拾い上げる。
　透明な玻璃玉に触れた指は、日輪王の褐色のそれとは対照的に、すらりと長くて白磁のように白かった。
「何だ月天王。ここからが面白いのに」
　月天王…！
　がばっと顔を上げたキララの瞳に、月光色に輝く白銀の髪が映る。
「弱いもの虐めなど、面白くもない」
　突然あらわれた(いや、最初から居たと云えば居たんだが…)月天王は、巷の噂通りとても美しい神様だった。
　流れるような長い白銀の髪に白い肌。豊かな睫毛が金色の瞳に蒼い陰を落とし、長い手足は柔らかそうな白い布で作られた衣装で包まれている。身体つきも目鼻立ちも優美で繊細な造りだが、脆弱な感じは少しもしない。むしろ、しなやかな力強さがあった。
　いかにも元気いっぱいなのに、華奢な少女の姿をしている日輪王とは対極の存在のように見える。
「私をガキ大将みたいに云うな」
「ビビらせて面白がるのは子供の証拠だろう」
　月天王の言葉に、くるりとキララを顧みた日輪王はもう悪戯な表情を取り戻していて、
「ビビッた？　まじビビッた？」
　楽し気な笑い声をあげると、グラスに残った液体で喉を潤した。
「な…？　も、もしかして…」
　遊ばれてる？
　カァっと。キララの頬に血が上った。その理由が怒りなのか、安堵なのか羞恥なのかは分からない。感情の振幅が激しくて、自分の感情を持て余してしまう。
「私の話しの腰を折ったりするからだ。でも、嘘は云ってないぞ。濁りのないその眼で世界を視ていれば、いずれわかることだ。フフフン、楽しいなぁ。これだから茶会はやめられん」
　日輪王は上機嫌だ。その手のグラスは枯れることがないようで、もう琥珀色に輝いている。
「…、だからお前は嫌われるのだ」
　月天王は嘆息した。
「神は畏れられるくらいが丁度良いだろう」
「私まで同列に思われるのは不愉快だ。日輪王は少々飲み過ぎて喋り過ぎのようだな」
「年寄りくさいぞ、月天王。ルール通りだ。文句あるまい？」
「年寄り云うなっ！　私を招待したのはそっちだということを忘れてないだろうな？」
「招待なぞしなくても、ずうずうしく私の前を横切るつもりだったくせに」
　外見上の共通点は金色の瞳くらいだが、気の強い性格は似たり寄ったりなのだろう。両者一歩も引かず、口汚く云い争う二人に神様の威厳なんてカケラもないのだった…。
「とにかく、これで役者が揃ったわけだ。茶会を続けようじゃないか」
　日輪王は一気にグラスをあおると、ふんと鼻をならして両足を投げ出した。
　その瞬間、何もなかったところに朱色の座椅子が現れて日輪王の身体を受け止める。そのままキララの右側に陣取った日輪王は、ちゃぶ台に空になったマイグラスを置いた。
　ゆらゆらと揺れる丸いグラスは、すぐに満たされてゆく。
「では、ルールに法って私も発言権を手に入れるとしよう」
　左側からの笑いを含んだ声にキララが目を向けると、ちゃぶ台の残りのスペースにはちゃっかり月天王が座していた。
　オフホワイトのふかふかしたローソファーに身体を沈めて、すでにグラスを傾けている。月天王の細長いグラスの中には、透明の発泡する液体が揺れていた。
　さっきの重い空気は跡形もなく消えている。
　キララもお茶に手を伸ばして一息ついた。もう、泪は出ない。
　自分がこうして神様二人とちゃぶ台を囲んで座しているなんて、控えめに云っても妙チキリンな事態だと思うのだが、何だか変に納まっちゃった感じで場が安定していることにキララは気が付いた。
　そして、もう一名足りないことにも。
「揃った…？　じゃ、瑠璃王は…？」
　創世の三神の最後の一人の名を挙げたキララに、日輪王は目を細める。
「次の話題はそれか。いいだろう。云ってみろ」
　また、いいようにからかわれるんじゃないかと思わないでもないが、好奇心は抑えられなかった。
「瑠璃王はいないの？」
「ここに来るのか、という意味なら、来ないな」
「どうして？」
「寝ている」
「寝てる？」
　神様が寝坊？
　眉をひそめるキララに、月天王が云った。
「眠っているというのは、言葉の綾だ。瑠璃王の意識は内側にしか向けられていない。私たちのように外に働きかけないから、寝ていると云ってるだけだ。瑠璃王は地球のシステムを維持し、命を宿すことにその力の全てを注いでいる」
「そうそう。だから地上の生き物は全て瑠璃王の子供、つまり『God's Child』だと云っただろ？」
　日輪王は頷きながら同意する。
「命を宿す…？　母なる大地ってコト？」
　キララの言葉に、日輪王が小さく吹き出した。
「ハハ…って。『母』… 」
「？」
　日輪王は肩を震わせるだけで、それ以上説明してくれない。
　キララが想像した聖母のような瑠璃王の姿は、日輪王の見解とは隔たりがあるようだったが、目の前の二人を見れば、瑠璃王もきっと夢のように綺麗なんだろうと思ったって無理はない。
「逢ってみたかったなぁ」
　キララのため息混じりの言葉に、月天王はあっさり応えた。
「逢えるだろう。地上には瑠璃王の分身がうようよしているんだから」
「へ？」
　静かにグラスを傾ける月天王に代わって、今度は日輪王が続ける。
「神は我々だけじゃない。風神とか雷神とかいって祀ってるのもそうだし、森や湖、果ては草花や小石に至るまで、人間が名前をつけただけ神は存在する。地上の神は皆、瑠璃王の分身だ。生命の一番近くで、時には命そのものに宿って、いつもお前たちを見ている。瑠璃王はそういう道を選んだ。我々とは違う道を、な」
「じゃ、逢えるの？」
「逢える。お前は『God's Child』なんだから」
「…」
　日輪王にそう云ってもらえるとは思わなかった。キララはちょっと感動してしまう。
「何だ？」
「…へへっ。何か嬉しい」
　単純な奴めと日輪王はあきれ顔だ。