「何だ、キララ。嬉しくなさそうだな？」
　ずいっと。空中を滑るように日輪王がキララの目前に移動した。とたんに心拍数が跳ね上がる。
「う、嬉しいですッ！」
　し、心臓に悪い〜。
「嘘をつくな。ここでは無意味だ」
　そう云われると言葉が続かない。
　日輪王の答えは、『God's Child』が特別な存在ではないことを示唆している。
　そんな答えを望んでいたわけではなかった。
　キララの真の望みは『God's Child』そのものであることではなく、『特別な存在』であることだったのだ。
　自分が平凡な存在であることを突き付けられたようで、胸が痛い。
　黙ってしまったキララを、日輪王は静かな眼差しで見つめた。
「…キララ。その茶を飲んでみろ」
　云われるままにキララは、目の前にあったお茶を一口飲む。程よく温んだ緑茶の苦味と甘味が、じんわり口に広がった。胸の痛みが和らいで、心が落ち着く。
　ほっと、小さく息を吐き湯呑みをちゃぶ台に置いた。その瞬間、泪がこぼれる。
「れ？」
　泣くつもりなどまるでなかったのに。
　しかも、瞳から溢れた熱い泪は目尻あたりで丸い玻璃の玉となって、コツンとちゃぶ台を転がったのだ。茫然とそれを見つめるキララに、日輪王は云った。
「ふむ。お前の悩みはこれか。可愛いもんだな」
　拾い上げた玻璃玉を通してキララを透かし見る。
「えぇ？　な、何？」
　戸惑うキララに構わず、日輪王は手にしたグラスの液体を飲み干した。
　空になったグラスには、見えない者の手で再び琥珀色の液体が注がれてゆく。
「今、お前の特別な能力や使命について具体的に教えてやる訳にはいかん。だがそんなもの、死ぬ時にそうだったんだと分かればいいだけのことだろう」
　グラスが満ちるのを待つ間、日輪王は華奢な指先で玻璃玉を弄びながら云った。
「命は皆、特別だ。世界に一つしかない。どんなに似ていても、同じじゃないし役割も違う。それでは不満か？」
「だって、ちょっと違うとこがあるからって特別だとは思えないよ。いくらでも代わりのあるモノは、大切にされないもの」
「…云ってくれるな。では逆に聞くが、キララはどんな風に特別だったら良いと思うのだ？」
「え…、どんなって…。例えば、空を飛べたり、未来が見えたり、人の心が読めたり…」
　指折り数えるキララに、日輪王はくすりと笑った。
「そんなことなら、今だってできるだろう」
「で、できないよ」
　慌てて否定するが、今度は日輪王が指を折って数え出す。
「お前達は毎日、空を飛ぶ道具に乗ってブンブン飛び回っているではないか。ここだけの話し、月天王の宮殿の横にマンションが建つ日もそう遠くないだろうと私はふんでいるぞ」
　ずっと沈黙を守っている月天王が身じろぐ気配がした。日輪王はそっちへちらりと視線を投げてから、二本目の指を折る。
「それから未来予知だ。経験と確率で未来を予測する人間たちの想像力は侮れんぞ。我々も気に入っている。当たっても外れても面白いからな。それに…」
　三本目の指をパタパタと動かしながら、言葉をつなぐ。
「感情を読み合う能力だって多かれ少なかれ皆持ってるものだ。気付いてないだけで…」
「そーゆーことを云ってるんじゃなくってっ！」
　しまったっ！　日輪王に逆らっちゃった！
　叫んでからコトの重大さに青くなる。
　でも、こんな風にちゃかされるのは嫌だったのだ。
「…もっと…、役に立つ大きな能力が欲しいんだ…。皆に認められるような…」
　呟いた言葉の空虚な響きに、云ってから気付く。
　コツン…と、日輪王の手から玻璃玉が落ちて、ちゃぶ台の上を転がっていった。
　わずかな沈黙の後、日輪王は静かに云った。
「そんな大きな能力、持ってどうする？」
　その声に怒りはない。
「己の力で自由に空を飛ぶ？　それが何になる？　自慢じゃないが、今まで羽根をつけてやった人間に喜ばれたことなど一度もないゾ」
　それはホントに自慢じゃないぞ、日輪王…。(月天王の声なきツッコミ)
「しんどいだの邪魔だの恥ずかしいだのと散々文句ばかり云って、結局は数日と持たずに返却だ。ハラが立つから全員ちょっといぢめてやったケド」
　だから喜ばれないんじゃないか？(再び月天王、心のツッコミ)
「未来を知りたい？　無限にある未来のどれを？　例え全ての未来を知ることができても、望む一つを選ぶことなどできないのに？　避けられない未来を分かっていても今日を生きることが、お前達人間にできていたなら、あんな…」
　無限の未来説は難しい理論で、キララには理解できない。日輪王の言葉の最後のくだりは独白に近いものだった。
　周りの空気が重くなったようで、息苦しい感じがする。
　一旦言葉を切り、僅かに瞳を伏せた日輪の王は、しかしすぐに顔を上げた。
「キララ。人の心が全部読めたら、どうなるか知っているか？」
　答えを待たずに、グラスに当てた形の良い唇が笑うように薄く開いて。
「『狂う』ぞ」
　短い言葉がグラスに反響した。
「それでも欲しいか？　その『能力』が」
　ぞくりと。 寒くないのに鳥肌が立った。
　こんな表情もできるなんて、可憐な少女の姿からは想像できない。
　すっごくコワイ。夢なら何で醒めないんだと、キララは手を強く握りしめた。