再び屋上。
「あいつ、大丈夫だったのか？」
　黒ずくめの男は、かけ直したサングラスで表情を隠し、不機嫌な声で尋ねた。
「うん。ちょこっと鼻の頭擦りむいてたけどね」
　何しろ大の字で落ちてきたから、と隣に立つエンが笑う。
「ちが〜うっ！　あのまま帰らせて良かったのかと聞いてンだッ！」
　あいつは自殺しようとしてたんだぞと、パーカーの襟元を掴んで怒鳴る男にエンは抵抗もせず、ひょいと手を上げて、サングラスを取り上げてしまった。
　現れたのは、涙に潤んだ黒い双眸。
「…ごめん、リッちゃん。泣く程心配してるとは思わなかった」
「するだろ？　フツー」
　がっくりと。子供の頃のニックネームで呼ばれたリツロウは手を離して肩を落とした。
「で？　あいつ、何か云ってたか？」
　重ねて尋ねる。
「うん。何か吹っ切れたみたいなこと云ってたよ。飛ぶのはこれきりにするってさ」
　やっぱ結構怖かったみたいと云う笑うエンに、
「当たり前だ。命綱もなしにあんなこと平気なのはお前くらいだ。しかも後ろ向きに」
　荒療治にも程がある、信じられないと、くり返す。
「絶対リッちゃんがクッション膨らましてくれてるって、信じてたから、僕は全然怖くなかったよ」
「オレは素人だぞ。あんなのちゃんと機能するかどうかも分からないのに、お前ってやつは」
　幾ら責めても、エンは笑うばかり。
「リッちゃんこないだ一日消防署長さんやってたじゃない。 観てたよ。カッコ良かった」
　ソレとコレとは話しが違うって。一日署長やったくらいでレスキューのプロになれるわきゃねぇだろッ！お前、ぜってー楽しんでたッ！
　リツロウは心の中で思いっきり毒つくが、大声で怒鳴るのも何だか空しくて。
　はぁあ…　と、長く息を吐き、エンの両肩に手を置く。
　瞳の高さを合わせてじっと真正面から見つめると、エンは不思議そうに見つめ返してきた。
「お前が落ちてくの見た時、心臓止まるかと思ったッ。あいつも泣く程びっくりしてたッ。もう二度とすんな！　約束してくれ。頼む」
　最後はいつもお願いだ。身体も態度もリツロウの方が大きいのに、いつの間にか振り回されている。子供の頃はそれも楽しかったが、今回のはブランクもあってかなり効いた。
　何しろ10年近くの間、二人はほとんど連絡も取り合っていなかったのだから。キララを見かけるほんの数分前に再会したばかりなのだ。
「…わかった。もう、しない」
　と云うエンの言葉を、結局は素直に信じられないリツロウだった。
「リッちゃん、がんばってるんだね。最近、街中でもリッちゃんの唄よく聴くよ」
　話しは終わったとばかりにエンは話題を変える。
　リツロウもそれ以上過ぎたことをねちねち云ったりはしない。
「何かヘンな歌手って評判なだけだろ？」
「そうなの？　でも、キララの着メロ、リッちゃんの唄だったけど」
「へぇ。あいつ、なかなか可愛いとこあるな」
　リツロウは嬉しそうに笑った。
　後日キララが、あの黒ずくめの男が歌手のリツロウであることに気付くかどうかは、定かでない。