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Bird
MAN
-翼ある人- |
| 人々のざわめきも、この忘れ去られた屋上までは届かない。 ここは、空に近い。 リツロウが空に向かって吐き出した紫煙は、おりからの風にさらわれてあっという間に消えていった。 「ふん」 風にかき消されるため息と煙草の煙り。まるでモノにならない自分のようで、リツロウはまだ半分残っている煙草を揉み消した。立ち上がって パンについた砂を払う。 その時、風に乗ってギターの音が運ばれてきた。どうやらパフォーマーが交代したらしい。陽気なかけ声と共にラテン系の音楽がスピーカーから流れてくる。 聞き覚えのあるメロディー。スペイン語など知らないけれど、このサビの部分だけは気に入って覚えていた。ジプシー・キングスの『ボラーレ』だ。 Volare （飛ぼう） oh oh Cantare （歌おう）oh oh oh … 空と太陽に向かって放たれた自分の声が、切なく胸に響く。 だた、歌いたかった。誰かに届いて欲しかった。誰かに、わかって欲しかった…。だが、一体何を？ 世紀末の空は、汚染されてはいてもやはり青くて美しい。流れる雲を見つめていると、平衡感覚がなくなってくるようだ。飛んだらきっと気持ち良いだろう。ふと、そんなことを思った。簡単なことだ。一歩、踏み出せばいい。 屋上の縁は30センチばかり高くなっているだけでフェンスもなく、リツロウがそこに足をかけるとビル風がまともに吹き付けてきた。くせのない髪が派手に踊る。薄いジャケットの中にも北風が吹き込んで、リツロウの身体をその冷たい腕で掻き抱いた。奪われてゆく体温。しかしリツロウは、風に吹かれるまま立ち尽くす。 不意に、温かい光の手のひらが頬に触れたような気がして、リツロウは我に返った。 その時、 「良い声だ。気に入った。その願い叶えよう」 屋上にいるリツロウよりさらに高い場所から、その声は降って来た。同時に、リツロウの身体をまばゆい光が包み込む。 「っ?!」 眩しさでつかの間失われた視力が戻るのを待って、リツロウは瞳を庇った腕をゆっくりと下した。何だか背中に違和感を感じる。何かが、付いているような…。肩ごしに覗いた背中には、一対の白い翼が。 「へっ…？」 自分の背中に翼が生えたなんて、ちょっと信じられる出来事ではない。ムシできない背中の存在感によろめきながら、リツロウは声の主を見上げた。 「あ…あんた、誰？ これは…ナニ？」 視線の先に文字通り浮かんでいたのは、燃えるような緋色の髪をなびかせた美少女。 褐色の肌に布の少ない衣装をまとい、混乱するリツロウを悠然と見下ろしている。まだあどけなさが残る顔だちながら、意志の強そうな金色の瞳には威厳さえ感じられて、見る者を圧倒した。 「私は日輪王、陽呼」 腕組みをして言い放つ態度にも気負いはない。 「ヨーコ？ 日輪…って、もしかして…神サマ…？」 こんな若くてカワイイ日輪王なんて聞いたことないゾ。けれど。 「そうだ。もしかしなくても、神様だ」 そう言って日輪王は綺麗に笑った。その邪気のない笑顔に毒気を抜かれたリツロウは、腰が抜けたように尻餅をついてしまう。 「…神サマ…。あの…これ、何スか？」 恐る恐るリツロウが背中を指差して聞いた問いにも、 「翼だ。お前がその美しい声で欲しいと云った」 日輪王の答えは簡潔だ。 「云ってナイ、云ってナイッ！」 頭をぶんぶん振って否定するリツロウに、 「私にはそう聞こえたが」 と、悪びれたようすもない。アンタ耳おかしいよ、といつもなら突っ込むところだが、今のリツロウにそんな余裕はなかった。 「あのね、神サマ…」 云いながら顔を上げたリツロウは、目前に迫る金色の瞳に言葉を失くす。日輪王は、いつの間にかリツロウの前にしゃがみ込んでその顔を覗き込んでいた。 「ヨーコでいい。神は他にもたくさんいる。一緒クタにされるのは面白くない」 �hっ…、そ…そうなの？ ひるむ心を奮い立たせ、リツロウは言葉をついだ。 「それじゃ、ヨーコさん。さっきのはネ、単に歌の歌詞で、オレの考えじゃないんです。だから、コレ取って」 リツロウはお願いモードに入っていた。自分の背中に翼が生えたり、キュートな日輪王が現われたりなんて夢みたいな状況ではあるが、今、手のひらや足に感じている堅くて冷たいコンクリートの感触が、これが夢でないことを物語っている。シャレにならない。 リツロウのお願いに日輪王はたいして心を動かされなかったようで、ついと立ち上がると静かな瞳でリツロウを見おろした。 「私の耳には真の願いしか聞こえない。聞こえたところで、全ての願いを叶えてやれるわけでもない。云っている意味が分かるか？」 日輪王の言葉に、リツロウは眉間にしわを寄せて渋面を作る。 「…。オレが翼が欲しいと、本当は思ってるって？ でもって、それを叶えてもらえてラッキーだと思えって？ そーゆーこと？」 そんなに簡単に心が分かったり願いが叶ったりするのなら、今までの自分の悩みや苦しみは、一体何だというのだ。神様だからって、それは傲慢ってモンだろう。 日輪王は否定も肯定もしなかった。かわりに、形の良い唇の端をわずかに上げて笑うと、 「ま、せっかくだから試せば良い」 そう云って指を鳴らした。 |