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Bird
MAN
-翼ある人- |
| 次の瞬間。リツロウの足下から屋上のコンクリートが消える。 「なっ…！」 正確に云えばコンクリートが消えたのではなく、リツロウ自身が瞬間的に空高く移動したらしいのだが、本人にはどっちでもいいことだ。自分が宙に浮いている、という事実が目下の大問題なのだから。 「何すんだぁぁぁっ！」 無意味に手足をばたつかせて叫ぶが、日輪王の姿は見えない。足の下には薄い雲がかかっており、その隙間から模型のような街並がのぞいていた。落ちたら間違いなく、死ぬ。 パニックに陥りそうになったその時、リツロウの耳もとで鋭い風音がした。同時に強く押し上げられる。背中の翼が風をはらんだのだ。 大きく広がった両の翼が上昇気流を捉えるそのリアルな感覚が、リツロウを現実に引き戻した。目には見えない風を、翼は確実に捉えている。 「と…飛べるのか？」 頭で考えなくても、翼は飛び方を知っているようだった。それは幼い子供が歩き始めるのに似ていて、初めてなのに思い出すような、不思議な感覚。人の眠れるDNAには、空を飛ぶ記憶が刻まれているのかも知れない。 雲をくぐり、街を一望しながら大きく旋回する。おもちゃのような街並の中に、豆つぶくらいの車や人が動いているのが見えた。あのひと粒ひと粒が生きて、考え、行動し、街が機能しているのかと思うと、何だか不思議だ。人と云うのはちっぽけなのか、高尚なのか分からなくなる。 そんなことを考えているうちに、リツロウはかなり自由に飛べるようになった。そうなるとさっきまでの恐怖はあっさりなくなって、気持ち良かったりするのだから調子の良いことこの上ない。 だが。リツロウはいつまでも夢心地ではいられなかった。 「さ…寒っ…」 高度何メートルかは知らないけれど、ここは確実に地上より気温が低い。さらに風も冷たい。常に風を受けている身体は何分もしないうちに芯まで冷えてしまった。しかも、羽ばたくことで身体を支えている翼は云うなれば手足と同じで、ずっと動かしているのはずごく疲れるのだ。 「鳥ってすごいんだなぁ」 変なところに感心しながら、リツロウは早々に下降を始めた。 急降下ならともかく、ゆっくり下りてゆくのは想像以上に骨が折れる。地上近くになると、ビル風もあって翼さばきが一段と難しい。元の屋上に着地する頃には、リツロウはへろへろになっていた。 「根性なしっ！」 記念すべき初飛行をあっという間に終わらせてしまったリツロウに、容赦のない罵声があびせられる。 声の主は云わずと知れた日輪の王。かなりご立腹の様子。 「…だって、寒いし、しんどいし〜。鳥じゃないんだからサ、そうそう飛んでばっかりはいられないでしょ」 両足を投げ出して弱音を吐くリツロウの前で、日輪王は足を踏みならした。 「私はお前の願いを叶えたのだ。もっとありがたがれッ」 「そんなこと云われたって…。大体このままじゃ、着替えるのだって困るし、仰向けにも寝られないし、満員電車でも邪魔になるし。第一オレ、遠くまで飛んで行く持久力ナイみたい…」 「この、軟弱者ォッ！」 こめかみ辺りに怒りのシルシを浮かべ真剣に怒鳴る日輪王のどこか子供じみた仕草に、リツロウは逆に和んでしまう。 何だか可愛い神様だなぁ…。 堅くこわばっていた心がほぐれて、リツロウは少し笑った。 「可笑しくないッ！」 とたんに両頬を左右に引っ張られる。 「わひゃひゃ、ごへんらはい〜」 謝ってはみたものの笑いは治まらなかった。頬をつねりあげる日輪王の指からは、不思議と体温というものが感じられないのに、日輪王のまわりはお日さまの匂いと温もりに包まれている。心地よい温もりに抱かれ、涙を流しながら笑い続けるリツロウに、日輪王の方が先に手を放した。 「ふん。えてして神の思惑というものは人には通じぬものだな。そういうことなら、しばらくこのままでいるがいい。それも、面白かろう」 これにはリツロウも笑ってはいられない。 「ちょっ…！ このままって 」 慌てるリツロウに、意地の悪い、でもとても魅力的な笑顔で答えた日輪王は、現われた時と同じように唐突にその姿をかき消してしまった。 「ワ〜ッ！ ちょっと待って！ ヨーコ、ヨーコさぁんっ！」 冷たい北風が身にしみた昼下がり。リツロウの情けない声だけが、空しく屋上に響くのだった。 |