「花火の夜」-その2

　突然、それは起こった。
　初めに小さな破裂音がしたかと思うと、細い音を引きながら流星が空へ駆け昇り、数瞬後、腹に轟くような大音響と共に、大きな、それは大きな光の華が漆黒の夜空に広がってゆく。
　河原では歓声が上がったようだが、二人は声も出せなかった。息すら、一瞬忘れたほどだ。
　流星は次々に空を駆け、空気を、木を、二人の身体を震わせて爆発する。
　映像で見る花火とは全く別物だった。きれいで、儚げで、平面的な光の花ではない。
　恐ろしく、美しく、力強い炎の華だ。しかも奥行きがある。
　じっと見つめていると、宇宙に吸い込まれてしまうような錯覚に陥ってしまうのだ。
　足元の危うさに思わず強く掴んだお互いの手が震えているのに気が付いて、二人は我に返った。顔を見合わせて、やっと少し笑う。
　それからは何だかリラックスして花火を眺めることができた。
　長く萌え続けるものもあり、短く散るものもある。いくつもの花火が同時に上がり、圧力さえ感じることもあったし、軽やかに舞い踊る小鳥のような炎が人々の拍手を誘うこともあった。
　クライマックスは大玉の連発で、これでもかと云わんばかりに黄金の大輪が夜空を照らし、辺りが真昼のように明るくなった。
　若山くんは興奮して足を踏み外しそうになるし、いづみは拍手のし過ぎで手が痒くなるしで、叫んだり笑ったり、送り花火が上る頃には二人ともぐったりしてしまっていた。
「楽しかったか？」
「うん。とっても！」
　じいちゃんの問いに、異口同音で答えてからふと気付く。花火の間中、じいちゃんが一言も喋っていなかったことに。そう云えば初めからどことなく元気がなかった。
「じいちゃん…、具合悪いのか？」
　若山くんが聞くと、じいちゃんはゆるゆると首を横に振る。
　それから木の幹にゆったりと凭れて両手を広げると、二人をそれぞれの腕に抱いた。じいちゃんからは微かに線香の香りがする。
「ここは、代々斉藤家の男子が隠れ家にしておった場所だ。わしの父さんもそのまた父さんも、ここに登って川を眺めていた。わしには息子が育たんかったから、長い間ほったらかしにしておったんだが、去年、娘が男の子を生んでな。わしもいつまで元気か分からんし、今のうちに修理しておこうと思ったんだ。だが、歳のせいかなかなか思うようにははかどらん。娘がこの家に帰ってくるはずはないし、孫もこの場所を喜んでくれるかどうか分からんしな」
「何云ってんだ。ここはこんなに凄いのに！　男なら絶対ここに来たいと思うはずだ。俺が保証する！」
　若山くんの強気な物云いに、じいちゃんは優しく微笑んだ。
「うんうん、坊たちに会ってわしもやっと本気になってな。途中、挫けそうな…ことも、あったがやり遂げた」
　じいちゃんは一瞬だけ目を閉じ、息を大きく吸ってから続ける。
「それでだ。孫が大きくなるまでには、まだ何年もかかるだろう。その間、坊たちにここを預けたいと、そう思ってな。もちろん、引き受けてくれるなら、の話しだが」
　覗き込むように二人の顔を交互に見つめた。
「おう！　任せとけ！」
　若山くんは気前の良い返事をし、いづみはうんうんと大きく頷く。じいちゃんは笑みを深くした。
「…じいちゃん、…どっか行っちゃうの？」
　ずっと胸に引っ掛かっていた不安を口にしても、もう衝撃はない。
　いつの間にか花火も終わって、辺りは静けさを取り戻していた。
「……ああ、娘のところへ行くことにした。気掛かりはこの場所と、坊たちのことだけだった。…頼んだぞ」
「……っ」
　二人してじいちゃんにしがみつく。言葉は出なかったから。

　さわさわと、木の葉が囁いていた。
　きっと、来年も再来年も、この木は囁き続けるだろう。
　さわさわと、さやさやと……
　来年も再来年も、二人でここに来よう。


　泊まっていけというじいちゃんの申し出を家の人がうるさいからと断って、二人はとっぷりと夜も更けた土手の道を歩いていた。若山くんの家までは、歩いて15分くらいの距離だった。
　臆病ないづみには恐いものがたくさんあるが、暗い夜道もその一つ。夜に一人で出歩くなんてことは到底できない。今も、若山くんがいなければ、走ってじいちゃん家に戻りたいくらいだ。
「わ、若山くん…、もっとゆっくり歩いてよ。追いつけないよ」
　足元が暗くてもたつくいづみは、スタスタ歩く若山くんに遅れ気味だった。
「情けない声出すな。早く帰んないと、うるさい奴がいるんだよ」
　泣いてんのかー？とからかいながらも、若山くんは数歩戻って手を繋いでくれる。
　その手から暗闇を怖れない勇気が伝わってくるようで、いづみはほっと息をついた。
　他に人影もない土手の上の道を、しばらく二人でてくてくと歩く。
　遠く近く響く虫の音。風は途切れることなく髪を撫で、痩せた月が静かに道を照らしている。自分達の足音を聞きながら、いづみは夜道が存外賑やかなことを知った。交わす言葉はないけれど、若山くんもきっと同じ音を聞いている、そんな気がした。
　いづみと若山くんは、何から何まで違う環境で育って来て性格も全然違うのに、ある瞬間、ある状況で、同じ感覚を共有するようなことがある。

　例えば、初めて出会った桜が舞い散る四月の朝―――――。
　例えば、もう会えなくなるような別れがあると知った夜―――――。

　自分と若山くんが似ているなんて思ったこともないが、たくさんのクラスメイトがいる中で、今こうして二人でいることには理由があるんだろう。いづみはぼんやりとそんなことを考えた。
　突然、
「こっから下りるか」
　若山くんは階段もないところから、土手を下りようと斜面の草むらに踏み出した。手を繋いでいるので、当然いづみも引っ張られる。
「あ、あぶな…」
　たたらを踏んで斜面に飛び出したいづみは、足元に白く光るものを見つけた。
「え？」
　一つではない。見れば斜面いっぱいに白い光が散らばっている。
　花火が地上でも燃えるのかとも思ったが、すぐにそれらが花であることに気付いた。
「すごいな。花火みたいだ」
　若山くんが呟く。いづみも「そうだね」と云った。
　月光を反射して輝く花。その花弁は実は白ではなく黄色だ。昼間は色彩豊かな草原で目立つこともなく咲いている。陽が落ちて辺りが色彩を失い、月の白い光だけが闇を照らすようになると、僅かな月光を反射して静かに輝き出すのだ。
　二人は、星が落ちて散らばったような草の海を手を繋いで渡った。

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