正しい？夏の過ごし方

　変わり者ばかりが住むと噂されている『幸せ荘』。今時珍しい木造平屋の長屋には、クーラーの室外機などは見当たらない。
　その代わり窓という窓は開け放たれ、出入り口の全てが開けっ放し。すきま風と相まって、どうにも緊張感のないゆる〜い空気が流れている。
「あぢぃ〜〜〜！　天使ぃ〜、暑ぃよ、なんとかしてくれぇぇ〜」
「アホ、なんともかるか！　暑いんは自然現象や」
「こりゃもう自然じゃねーよ、異常気象だって。あぁ、あぢぃ〜」
「自然だろうが異常だろうが、夏は暑いもんや。心頭滅却！　コラ、人んちの扇風機を独占すな」
「心頭滅却って云ったじゃん。気の持ちようなんだろ。オレはダメ、滅却できない。LOVE扇風機。あ〜、暑ぃ〜」
「…りょうへいぃ。文句云うなら帰れ。って、その寛ぎようはなんや。もう」
　天使という名には不似合いな怪しい関西弁を操る『幸せ荘7号室』の住人は、縁側でだらりんと伸びている客人、良平に苦言を呈しつつも、冷蔵庫から冷たい緑茶を出してやる。
「おぉ、さんきゅー。ン〜、生き返る！　やっぱ天使んちはいいなぁ。ココ、オレんちより風通し抜群にいいもんな」
「陽当たりもな」
「そんでも、うちよりずっといいって」
　コップを一気に空にした良平は、ため息と共に少し冷たい息を吐いた。
　軒に立てかけた陽除けのよしずには朝顔が蔓を伸ばし、吹き抜けるゆるい風に、南部鉄の風鈴が高く澄んだ音を響かせる。ここは時間が止まったような場所だ。
　見上げた先の空には、じりじりと照りつける真夏の太陽。空気を震わせるような蝉時雨は止む事を知らない。
　天使が何かを云う前に、良平は再びひっくり返ってジタバタと暴れ出した。
「あ〜！　でもやっぱ暑い！　あ〜つ〜いぃぃ〜っ！」
「えぇい、やかまし！　暑い暑い云うな！」
　ビシッ！
「ぐふ…ッ」
　無防備にさらされた腹を平手でひっぱたかれ、良平は一瞬声をなくす。
「暑い時はな…」
「…？」
　涙目で見上げる良平の前に、天使はすっくと立ち上がった。
「暑い時は、外や！」
「へっ？」
「外へ出て走るんや！　さぁ立て、すぐ出て、キリキリ走れ！」
「えぇぇ〜〜？？？」
「この財布(もちろん良平の)が欲しくばついてこい。ふはははは！」
「あっ！　い、いつのまにぃぃ〜！　オレの生活費！！　返せ、コラ！」
　さして重くもない財布をひらひらとなびかせて、天使は縁側から外へ飛び出した。慌てて追いかける良平。
「ちょ…！　待てって！」
　草履をつっかけただけの天使は本気で走っている風でもないのに、スニーカー履きの良平がなかなか追いつけない。
「こん…ぬぉぉぉぉ〜ッ！」
　だんだん意地になってきた。
　住宅街から細い路地へ。がむしゃらに走り抜けてゆく。
　やがて家もまばらになり、足下がアスファルトから砂利道になっても、先を行く天使の足取りにはまるで迷いがなかった。
　両側を竹やぶで挟まれた細く急な坂道を、草履で軽快に駆け上ってゆく。
「て、んし…ッ、ちょ、ま…」
　良平が息も絶え絶えの声を上げると、
「なんや、良平は無駄に若いだけやなぁ。ちょっとは運動せなあかんで」
　笑いながら、ようやく坂の頂上で足を止めてくれた。
「さ、ここまで来たらもうちょっとや」
　差し伸べる手に励まされ、何とか坂を昇りきる、と。

　風が、変わった？

　そこは小高い丘の上。竹やぶが途切れて、一気に視界が開けた。
　背の低い草で覆われた地面は、強い陽射しを柔らかく受け止めて散らし、しっとりと草の匂いをはらんだ風を生む。
　心地良い風に火照った身体を冷やされながら、巡らせた視線の先には自分たちの住む小さな町が広がっていた。
　夏の休日。出歩く者などそうそういないと思っていたけれど、町には人影があり、車も忙しなく動いている。働いている人も勿論いるだろう。
　町は、生きてるんだな…。漠然とそんなことを思った。

　立ち尽くす良平。あれほど五月蝿かった蝉の声が、今は遠い。

「ぅひゃ?!」
　突然、ヒヤリと冷たいものが頬に当てられ良平は声を上げた。
　見れば、スポーツドリンクを持った天使が笑っている。
「ホイ。ひとまずお疲れ。水分補給しとこ」
「さんきゅ…、て、これオレの金じゃん！　しかもちゃっかり自分の分まで！」
「まぁまぁ、落ち着いて。とにかく座りぃな」
　良平の至極真っ当なを文句を笑顔でごまかし、天使は草の上に座り込んだ。
「まったくもう…」
　とは云え本気で怒る気にもならず、大人しく隣に並ぶ。
「ところで、ここどこ？　幸せ荘からそんなに遠くないようだけど。オレ、こんな場所知らなかった」
「そぉか？　何回も来た事あるはずやで。ここ、公園の裏やもん。ほら、あっちに滑り台とかジュースの自販機とかあるし。良平、あっちのベンチで寝こけてたこともあったで」
　そう云われてみれば、丘の下の方には見覚えのある公園施設が。いつもの大通り側ではなく、裏山の上から入ってきただけなのだった。
「な、んだ…。なんでこんな簡単なこと…」
　何故気付かなかったのだろう。
　ちゃんと見ていなかったからだ。身近で当たり前の事過ぎて、その周りの事に目が行かなかった。この場所はずっとここにあったのに。
「オレって、あほだなぁ…」
　良平が泣き笑いのような顔で云う。
「何や、今頃気付いたんか。せやけど、そゆとこが良平のエエトコやねんけどな」
「お前のその、トドメのような励ましはどうかと思うぞ…」
　天使はカラカラと笑って、良平の背中を叩いた。

　自分のあほなとこも、身近にある緑の公園ことも
　いっこづつ、気付いていけばいい

「さ、これ飲んだら帰ろか。汗もかいたし、帰って水浴びしよ。風呂に水はってんねん」
「水風呂かよ、貧乏くせぇ」
「ふーん、そんな事云って良いんかなー。その風呂には、スイカが浮いとるんやで。今頃はえぇ感じに冷えとるはずなんやけどな」
「…天使さま！！　是非ご相伴に！！」
「ふふん。スイカはな…。スイカは…、早いモン勝ちや！」
　ズダダダー…ッ！

　二人は町へと草原を滑るように駆け下りて行った。
　後には、何事もなかったかのように蝉時雨が戻ってくる。
　暑い夏は、まだこれから…。

おしまい
『正しい？夏の過ごし方』2006年7月31日発表作品