recipe6「パンプキンパイ」

　雲の国には季節がない。
　流れているはずの時間さえ、感じる事は難しい。
　けれども時折、訪れる人々が纏うそれぞれの時間に合わせて、
　その時限りの季節の色に雲が染まることがあると云う。

　Trick or Treat?!
　ひんやりとした風に乗って、鈴が転がるような、幾つもの鐘が一度に鳴るような不思議な音が店内に響いた。
　それがドアに取り付けられたクリスタルの音だと、気付くのに少し時間がかかってしまって。
「今のドアベル？　いや〜ん、可愛い〜っ！」
　ブランカが顔を向けた時には、すでにお客らしき少女はドアを閉め、両手を口元に当てて音源であるだろうクリスタルを見上げていた。
　十代半ばだろうか。身長は低めで体格はぽっちゃり、足首まであるロングの黒いワンピースも所々窮屈そうだ。腰まで伸ばした柔らかいくせ毛をお下げに編んで、手には先端に星飾りのついた短い杖を持ち、頭には黒いとんがり帽子、靴も先がとんがっている。
「…いらっしゃいませ」
　ブランカが声をかけると、少女は踵に重心を置き、芝居がかった仕種でくるりと振り返った。
　Trick or Treat?!
　再び風が吹いてクリスタルを揺らす。
「ふふふ…、私は魔女よ。さぁ！　私にお菓子を頂戴。さもないとイタズラしちゃうから！」
　少女が纏っているのは、魔女の衣装と秋の風。
「……ではどうぞ奥へ。ご注文を賜ります」
　アルトの声で穏やかに応じたブランカに、少女はふっくらした桜色の頬を更に膨らませた。
「ヤダ、ノリ悪ぅ〜い。ちょっとは抵抗してくれないとツマンナイのにぃ〜。まぁいいわ。それにしても、地味なお店ねぇ。可愛いのはドアベルの音だけ？　もっとレースのテーブルクロスとかフリルのカーテンとかないの？」
　品定めするように店内に視線を巡らせながら、機関銃のように喋り続ける。
「あっコレ可愛い〜！　ここに決めたわ。私この席にする」
　少女が見をつけたのは飾り棚のある壁際の席。棚に置かれたジャック・オー・ランタンが気に入ったようだ。ミニカボチャを使っているのでミニサイズだが、中はちゃんとくり抜いてあってキャンドルが入っている。
「構いませんよ。どうぞお掛け下さい」
　その席は飾り棚を中心に壁から半円のテーブルが生えたような造りで、椅子に座ると棚のランタンからもれる光が優しく揺れながらテーブルを照らすのが楽しめるようになっていた。
　少女は星のついた杖ととんがり帽子をテーブルに置いて、椅子に腰掛けた。
「何だ、ノリは悪いし地味だけど、ちゃんとこんな演出してるんだ。ヤルじゃん」
　小さな棘を含んだ言葉は、褒めているのかけなしているのか分からない。
　少女がわざとそうしている事にブランカは気付いていたけれど、特に気にする様子はなく、
「ご注文は？」
　反応はあくまでも穏やかだ。少女はブランカの心情を計りかねて少し戸惑った。
「パ、パンプキンパイよ！　まるごと1台お願い」
「まるごと…」
「そうよ。文句ある？」
「いいえ。かしこまりました、少々お待ち下さい」
「ちゃんと顔の形にくり抜いたヤツね！」
　ブランカがケーキと飲み物を用意する間も、少女は飾り棚のランタンを指先で突ついたりしながら喋り続ける。もしかしたら、沈黙を怖れているのかも知れない。
「私ねぇ、小さい頃アメリカにいたのよ。帰国子女ってヤツ。日本じゃそうでもないけど、向こうではハロウィンは盛大にやるお祭りなの。仮装してパレードしたりパーティーしたり。とにかく賑やかで、子供はお菓子がたくさん貰えるし、私、ハロウィンが大好きだった。ママがお菓子好きなせいもあって、あの頃はお菓子もケーキも好きなだけ食べたわ。それでこんなに太っちゃったのよネ。別に向こうじゃこれくらいは太ったうちに入らなかったんだけど、こっちに帰って来たらいきなり『デブ』扱いよ。失礼しちゃうわ。その上私こんな感じでズケズケ物を云うでしょ。だもんだから、結構いじめとかもあったのよネ。もちろん、負けやしなかったわよ。意地悪する奴は投げ飛ばしてやったわ」
　フフンと少女は誇らし気に鼻を鳴らした。
「だって私はホントのことを云ってるだけだもの。私が思ったホントの気持ちだから云うの。誰に対してもよ。それが私なの。そりゃ、云わなきゃいいコトまで云っちゃう時もあるけど…」
　云い訳めいたセリフに、自然と口調もトーンダウンする。
　ランタンの揺れる焔には、気持ちを落ち着かせる効果があるのかも知れない。
　そこへ、
「お待たせしました」
　ブランカがパンプキンパイを運んで来る。注文通りまるごと1台。被せたパイ生地を切り抜いて三角の目とギザギザの口を作り、ちゃんと顔に仕立ててあった。
「ワォ！　熱々ね！　ママの手作りパイみたい。嬉し〜！」
　パイで出来たカボチャのお化けは、御丁寧にシルクハットまで冠っている。
「このハットは、チョコ？」
「そうです。でも中は…、どうぞ溶ける前に召し上がれ」
　ブランカの言葉に、少女は翼があしらわれた銀のフォークを取り、シルクハットの形をしたチョコレートを割ってみた。
　トロリと出てきたのは…。
「うっそー！　アイスクリームが入ってる〜っ！　やだもう、どうして分ったの？　すっごく好きな取り合わせ！」
「熱いパイにアイスクリーム、がアメリカ式らしいので」
　にっこり微笑むブランカには見向きもせず、少女はサクサクとパイを切り分け、チョコとアイスをたっぷりつけて大きく開けた口に運んだ。
　あんむっ
「んん〜〜〜ッ！　おいひ〜！」
　熱いのと冷たいのが口の中で混在する不思議な感覚。スパイスの利いたカボチャフィリングはまったりと舌に絡み付き、バターの香りがするパイはパリパリと芳ばしい音を立てる。
　少女は次々とパイを口に運び、あっという間に半分を平らげてしまった。
　小休止に、添えられたアイスコーヒーを一口。
「っふ〜。やっぱ、好きなものを好きなだけ食べるって幸せよね〜」
　再びフォークを取り、不敵に微笑むと果敢に残りのパイへと立ち向かう。
「一度やってみたかったのよ、ケーキ丸ごと1台を一人で食べ尽くすって」
　ブランカはただ黙って、ひたすらパイを食べ続ける少女を見つめていた。

　程なく、大きな白い皿にはパイ屑が残るだけとなった。
　カラン…
　俯いていた少女の指先からフォークが滑り落ちる。
「…これでもう、思い残す事はないわ…」
「…」
　黙っているブランカをチラリと見上げ、
「なぁんて云うワケないでしょ！」
　ベ〜ッと舌を出して見せた。
「冗談じゃないわ！　ケーキ1コで満足できるはずないじゃない。私まだやりたいこといっぱいあるの。ううん、やりたいことまだ見つけてさえいないのよ。何を勉強するのか、どんな仕事をしたいのか。それに、告白だって…。そうよ、今はこんなだけど、これからちゃんとダイエットして、キレイになって、彼氏作って、いっぱい幸せになるはずだったのに！　こんなのって、こんなのってないわ」
　バンッ！とテーブルを叩く。皿とフォークが小さな悲鳴を上げ、ジャック・オー・ランタンも跳ねて焔が大きく揺れた。
「周りの人に私がそんなにヤな奴じゃないって、まだ分ってもらってない…。もっと時間があったら、上手に気持ちを伝えられるようにだってなれたはずなのに。そしたら友達だって沢山できて…。家に皆を招いて、夢だったハロウィンパーティーを開いて、ママの手作りパイは天下一品だって自慢して…。もっと、もっと…」
　言葉を切って唇を噛みしめる。
　その時、
「！」
　ふわりと。白いものが柔らかく少女を包み込んだ。
「…泣いていいんですよ」
　ブランカが抱きしめた少女の耳もとで囁く。
　優しいアルトの声は、音の波となって全身に染み込んでいった。
　少女の大きな瞳から泪が溢れて落ちる。
「っ、どうして今なの？　どうして、私なのよ？」
　どうして…
　後はもう声にならない。ブランカもただそっと柔らかいくせ毛を撫でるだけだ。
　少女の問いに『理由』を答えることはできるだろう。少女の魂とその器が今の形を保てなくなった過程を、物理的・科学的に説明する事もおそらくは可能だ。
　だが、彼女が真に問うているのはその『意味』。
　それはブランカにも答えてやることができない。
　彼女が望む答えは地上に、生きる人々の中に、『これから芽生える』のだから…

「俺、腹一杯だ。カボチャのパイなんて初めて食ったけど、旨いモンだな」
「委員長ったら食べ過ぎだよ。でも、ホント美味しかったね。お母さんの手作りらしいよ。彼女の好物だったんだって」
「ふ〜ん」
「…あのサ、変なコト聞くけど、委員長って彼女の事どう思ってた？」
「…。ホントに変なコト聞くな」
「ゴメン…、でも」
「別に、どうとも思ってないよ。あいつ、男子と喋る時はいつも文句ばっかで、きちんと会話したことなんかなかったし」
「そ…か。私ねぇ、告白しちゃうけど、彼女の事結構好きだった」
「？」
「彼女のあのモノをズバズバ云えちゃう思いきりの良さみたいなとこに、実は憧れてたの」
「まぁ、確かに。あいつ、言葉はキツかったけど、云ってることは結構マトモだったもんな」
「うん。皆、云われたくないコト云われて怒ったりもしてたけど、後でこっそり直したり、彼女の云うこと気にしてたよね」
「あいつはもっとモノの云い方を考えれば良かったんだ。そしたらあんなに人とぶつかることもなかったのに」
「でもね、最近は変わって来てたんだよ。前に、委員長と云い合いになったことあったでしょ」
「あぁ？　そんな事もあったかな」
「とぼけちゃって。その時『云ってる事が正しくても、そんな云い方じゃちゃんと聞いてもらえない』って、委員長云ったじゃない。あれくらいから、ほんの少しだけど、彼女変わって来てたの」
「…」
「多分、委員長のこと、好きだったんじゃないかな」
「…何でそんなこと今云うんだよ」
「ゴメン、でも、きっと彼女伝えたかったんじゃないかと思って」
「…知ってたサ」
「え？」
「知ってた。何となくだったけど。でも、それだけだ。あいつ何も云わなかったし、俺もあいつのこと特に気になったりはしなかったし、な」
「…そっか。知ってたんだ。伝わってたんだ、彼女の気持ち」
「あいつ、いつもまっすぐだったから」
「うん、彼女、真面目で努力家だった。それに…ホントは、」
「寂しがり屋、か？」
「！」
「驚く事ないさ。そーいうトコは分かりやすかったよ、あいつ」
「ふ…。可愛いトコあるよね」
「憎たらしいとこもいっぱいあったけどな」
「ね、彼女の事キライじゃなかった、よね？」
「…あぁ、嫌いじゃなかったよ」
「私たち、彼女の事忘れてしまうのかな」
「どうだろうな。あんな強烈なキャラそうそういないから、時々は思い出すんじゃないか？」
「うん、私もそんな気がする」
　制服姿の少年と少女は、土手の上で足を止め、何かに呼ばれたようにふと空を見上げた。
　河原沿いの土手はさえぎるものもなく、視線の先は空ばかり。
　秋晴れの高く澄んだ空に、ひんやりとした秋風の筆が、真っ白な雲で雄大な絵を描いている。
「はぁ〜！　い〜い天気だなぁ」
「…気持ちいいね」

　Trick or Treat?!（お菓子くれなきゃイタズラするよ）
　秋の風がくり返し囁いていた。

「はぁ、何だか疲れちゃった。私やっぱり無理してたのかな」
　ひとしきり泣いた後、少女はぽつりと呟いた。
「あなたは一生懸命生きたのですよ」
　壊れやすい器に誇り高い魂を抱えて。
「ふふ…、ありがと。あんなに愚痴っちゃったけど、私自分が不幸だったとは思ってないよ。こんな私でも受け入れてくれる人はいたの。あなたみたいに。ちゃんと分ってる…」
　自分の指先が輝きながら形を無くしてゆくのを、静かな眼差しで見つめ、
「そろそろ限界ね。さよなら。パンプキンパイ、美味しかった。きっとママも今頃焼いてるわ」
　そう云って笑った。


　ブランカの腕の中で、光の粒となって消えてしまった少女。
　キラキラと輝きながら秋の匂いがする風に乗って、蒼い空へと舞い上がって行った。
　見送ったブランカは、長い髪を風に任せ立ち尽くす。
　そのいつもよりも高い空を、少しひんやりとした風を、
　雲の国に一瞬だけ訪れた秋を、もう少しだけ感じていたかったから…。

Fin